2011年07月29日

ワールドクラスの野球人

衝撃的なニュースが入ってきました。
「伊良部さん死去、ヤンキース「永遠にファミリーの一員」」
記事によれば、「伊良部さんは27日午後、ロサンゼルス近郊の自宅を訪れた友人に遺体で発見された。地元検視局のエド・ウィンター氏は「本件は自殺として扱われている」と述べたが、死亡状況などの詳細は明らかにしなかった。」
どうも、自殺説のようですが、何年か前にテレビで彼のロサンゼルスでの生活に密着した特集では、ヤンチャで、しかもヒール役を演じていた現役時代の面影はなく、すっかりナイスな大人になって、ロスに根を降ろしている姿が印象的でした。
高校野球ファンの所長は、いまでも彼が尽誠学園のエースとして登場した夏の甲子園を鮮明に憶えています。
あの年は、埼玉代表は前年初出場を遂げた浦和学院。名門上尾高校を率いていた故野本監督が、晩年創部間もない私立の浦和学院に招かれ、一気に強くなり、それから埼玉県のトップ校になろうとしていた時期です。

浦和学院は、その前年に初出場でベスト4という快挙、そのチームの主軸は「常勝西武ライオンズ」へドラフト1位で入段することになる「鈴木健」。清原の高校本塁打記録に並んだ選手です。
その浦和学院は強打が売りのチームで、前年に引き続きと思っているところで、第1戦の相手が「エース伊良部」を擁する尽誠学園。
ゆったりした、大きな体から放たれる「剛速球」は速いっ!というレベルではありません。ウナル感じと言えば良いのか、とにかく高校生が打てるような球ではありませんでした。
甲子園では、時代の剛速球投手が数多く駆け抜けていきました。作新の江川、海星の酒井、近縁では育英の佐藤(由規)、花巻の菊池、・・・。素晴らしい選手ばかりですが、伊良部は、その当時からヒール性に何か強く惹かれるものがありました。


県大会を強打・大量得点・コールドゲームで勝ち進んだ浦和学院の各打者も「伊良部」の前に沈黙。所長も正確な記憶がなくて、申し訳ないのですが、伊良部からヒットを打てたのは鈴木健ともう一人だったような記憶。

ただ、もうこの頃はすでに、高校野球も組織力の時代。一人の剛腕エースで勝ち進めることはできなくなっており、伊良部の夏も途中で終わったと記憶しています。

プロに入ってからは、剛腕とヒールで、多くの勝ち星を挙げることはできませんでしたが、ヤンキースでは、ワールドシリーズ制覇に貢献したし、深く印象に残る投手でした。

そして、今年も甲子園が始まります、「第2の伊良部」は、そして「ヒールのヒーロ」は出るのでしょうか。
冥福を祈ります。
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posted by セバスチャン at 17:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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